無差別放火殺人事件に思う。
高校3年生が同級生を刺し殺してしまったり、中学生や二十歳の無職の子供が父親を同じように殺してしまったり、これらの犯罪(殺人)はもちろん許される行為ではない。が、まだ相手がはっきり決まっている点で我々の理解の範疇にある。殺さざるを得ない状況に陥ってしまった理由を理解しようとする気には少なくともなる。
しかし、無差別殺人になると話は別だ。特に最近の自暴自棄になって自らが「死にたい」と思い、その道連れのように「誰でもよかった」と多くの人たちの命を奪う行為は理解しがたい。
普通に考えれば一人で自殺すればよいはずだ。それなのに、全く自分とかかわりのない人間を多数まきぞえにする。自分を疎外した社会に対する報復・復讐ということなのだろうか。
本人が「死にたい」といっているのは、社会から消え去りたいということで、自殺とは直接に結びつかず、自分の現状を変えたいということであって、それが他者の命を奪う殺人という形に姿を変えるのであろうか。
だとすると、誠に身勝手で全く許されざる行為である。自分の不遇を社会や他人のせいにしていたのでは何も変わらないし始まらない。確かに秋葉原の事件のように格差社会や弱肉強食の新自由主義経済の残酷さが背景にあったとしても、それが免罪符になるわけではない。見ず知らずの人の命をいとも簡単に奪う愚挙を正当化することはこれっぽっちも出来るものではない。
特に今回の放火は、危険物取扱者の資格を持っていた犯人が、ガソリンの殺傷性を十二分に理解した上で火を付けている点が許し難い。
死刑制度には反対であるが、心神耗弱で無罪とか、無期懲役といいながら何十年後かに社会に再び出てくるような刑にはしてほしくない。終身刑の創設を検討してもらいたいと強く思っている。
社会や傷つけられた人々や家族は何ら救済がないのだ。








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