高校教師として、やりきれない気持ちになりました。
まだ、僅かな報道だけなので、何故、「学校での態度に日頃から腹が立っていた」という理由で同級生を刺し殺さなければならなかったのか全く分かりません。
何か奥深い簡単には説明が出来ない理由が他にあるのか、それとも言っているとおりに過ぎないのか?
とにかく、包丁をあらかじめ買って通学鞄に入れていたという事らしいですから、発作的な犯行ではないようです。「殺すつもりで刺した」とも供述しているようですから、喧嘩の仕方(手加減の仕方)が分からずに誤って痛めつけるだけのつもりが殺してしまった場合とも大きく違います。
どうして人の命は(自分の命も)天から与えられた特別な物で誰にも粗末に扱うことが許されない尊い大切な物であるということが分からなかったのでしょうか?
犯行に及んだ生徒の心の中に、自分自身もどうなってもいいという自暴自棄な捨て鉢な考え方があり、それに支配された末の道連れだったのでしょうか?
僅かな報道からだけでは、上記のことぐらいまでしか想像も出来ません。
担任や学年主任、生徒指導部長を始め、彼らを授業で教えておられた先生方のショックとやりきれなさを思うと自分のことのように心が痛みます。また、当然ながらご家族の方々の苦しみも。
教師という立場から教育者の方々の思いに絞って、これからは書いていきますが、生徒が通っていた高校の全ての先生方は今、自分たちの無力と教育の難しさを強く感じていらっしゃることでしょう。
同校の副校長が「日頃から命の大切さを訴えてきただけに教職員、生徒ともに大きなショックを受けている」と語っておられるようですが、面と向かって「人を殺してはいけない」とは教えなくとも人権教育や保健体育の性教育の時間、社会科の戦争を扱う授業や国語の「こころ」「黒い雨」「峠三吉 原爆詩集」などなど、勿論その他の教科でも色々な場面で折に触れて、命の大切さについて我々は語っています。しかし、残念ながらそれでも最近、若者の殺人が続きます。
衝動性、刹那的な行動が目立つようです。21世紀は始まったばかりですが、明るい未来の見えにくいまるで世紀末のような重苦しい閉塞感の中で、彼らはあっぷあっぷしているのでしょうか?生き甲斐、日々の生活での心の安定を家庭や地域社会と連携して、彼らに見付けさせる取り組みが必要なのかもしれません。
何も中高校生同士の殺人事件は最近になって急に増えたわけではなく、私が高校生の時代にもありました。ゼロには出来ないのかもしれません。が、その頃よりは遙かにマスコミやこうして私が自分の思いを綴っているブログなどのインターネットの爆発的な普及で、人々はより容易に数多くの不幸な事件に日常的に触れられるようになっています。負の連鎖が起こらないように配慮することも重要なのでしょうか?難しい問題です。事実を知らせることは必要でしょう。ただ、扇情的な悲観的に過ぎる報道ばかりでもいけないのでしょう。本当に難しい。
とにかく最後にもう一度、「人の命も自分の命もかけがえのないこの世にただ一つだけの大切な物」「死んだ人間は当然のことながら、決して生き返りはしない」「事を起こす前に、今一度立ち止まって考え直す精神的な余裕を常に持とう」これだけは取り敢えず高校生たちに伝えておきたいですね。よく分かっている生徒諸君がほとんどであることは十二分に理解していますが。
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